本年も師走の第三土日、12月21日・22日の土日で
自坊の報恩講をお勤めしました。
日曜にかけて冷え込みが厳しくなったものの、
おおむね天候にも恵まれ、無事に終えることができました。
お取り持ちの皆様、まことにありがとうございました。
今回は前日に急遽連れ合いがインフルエンザでダウンし、
なにかとご不便をおかけしたことと思います。
我々寺族も、いつのまにか連れ合いが主になっていたことに改めて気付かされました。
また、おときの代わりに初めてお赤飯の持ち帰りにしましたが、
今回の結果を踏まえて来年度はまた試行錯誤してみようと思います。
さて、このたびは、池田町の八幡徹信先生にお越しいただきました。
この数年、私自身も先生のお寺に法話で出向かせてもらっていますが、
92歳でピッとした立ち居振る舞いもさることながら、
いつも最前列でお聴聞されておられるお姿に
大切な緊張感と憧れを感じているお一人です。
お話のなかで「コラっと言ってくれる人がなければわからないですな」と
仰っておられましたが、私にとってはまぎれもなく先生もそのお一人であります。
私自身の寿命がいつまでかはわかりませんが、
92になってもよろこべるおみのりやということを身をもって示してもらえていると思うと、
そういうものが自分にも寄り添ってくださってあることが嬉しくたのもしいです。
今年は、お聴聞していかれる方が一層少なかったですが、みなさんそんなに忙しいのでしょうか。
古来より真宗は「聴聞にきわまる」と言われてますが、それでも
一度も聞きに来られない方は、よほど自力心の強い方なのでしょうか。
親鸞聖人は、
「よろこぶべきことをおさえてよろこばせざるは煩悩の所為なり」と仰っています。
我々が生まれていけるお浄土を用意してくださったことは、本来、天にあがり地におどって
よろこぶべきことであるのに、そこまでのよろこびにならないのは煩悩によるからです。
「助けない」ではなく、「必ず助ける」という話を聞きにもこないという方は、
煩悩がひときわお盛んだからでしょうか。
天にあがり地におどる人もあやしいですが、そこまでにはならなくとも、
南無阿弥陀仏一つにお腹がふくれるのが真宗のご信心です。
いい話かいい話じゃないかではなく、お腹がふくれたかふくれてないかを問題と
していただければと思います。南無阿弥陀仏
