2023年9月24日(日)
まだまだ残暑厳しいとはいえ、お彼岸を過ぎてから
やはり空気が秋めいてきました。
地球そのものは温暖化傾向にあるとしても、地球と太陽の位置関係は変わらない
からでしょうか、やはり今年も秋はやってくるようです。
今日は午前は自坊、午後は別のお寺さんへの出講という、
初のはしご法話の一日でした。
お伺いする予定のお寺さんが、教員時代にお世話になった先輩のところ
だったので、朝からどことなく緊張していました。
むしろ、はしごする疲労で力みがとれれば、などとむしのいいことを妄想していました。
ちなみに、自分も8月末にコロナに初罹患したこともあって、
今回も午前のみおときなしの一座法要です。
今回は蓮如上人の「聖人の御一流には弥陀をたのむが念仏なり」というお言葉をもとに、
称えることが念仏なり、ではなく、
弥陀をたのむが念仏なり、ですから、
この違いが肝心です。
なぜなら、我々が弥陀をたのむという信心は、
我をたのめという弥陀の勅命からしか起こりえないからです、
ありがたいですね
ということを申し上げさせていただきました。
南無阿弥陀仏
実に3年ぶりに、「お経を習いましょう」、
うちで言うところの寺子屋を再開しました。
メンツも様変わりし、学童に通う子も多いため、
もし誰も来なかったらどうしようと思いましたが、
毎日なんやかんや15人前後の子どもたちが
ラジオ体操のあとに元気よく通ってきてくれました。
私自身もひさしぶりの再開のため、はじめはリハビリのようなおそるおそる手探りでしたが、
子どもたちは、むきだしだからなのか、馴染むのもとても早く、
毎日一回ずつの練習でも、最終日にはお正信偈の行譜をほぼ読めるようになりました。
大人ではこうはいかないので、子どもの力にあらためて舌を巻きました。
朝からアイスクリームをほおばる姿に、日常がかえってきたことを実感しました。
3年ぶりです。
GW明けの緩和を前に、なんとなくどことなく緩まってきた世情に乗っかって、4月15日土曜日に花祭り決行しました。お菓子などを準備したものの、何人来てくれるのか皆目見当もつかず、ひょっとしたら5人も来ないんじゃないかと思ったりもしました。たった3年、されど3年。少人数のほうが子どもたちの顔が見えていいやと強がりながら、実際開始直前まではドキドキでした。蓋を開けてみると11人の子たちが来てくれました。甘茶かけ、手塚治虫さん原作のブッダの紙芝居、お釈迦様カルタ、おたのしみタイム、少しでもお釈迦さまほとけさまのことを知って感じてくれたらと願います。合掌
令和5年3月21日春分の日。
コロナからこのかた、今年も講師は招かず、住職自ら法話させていただいた。
思えば、法事の席はともかく、普段の月参りや駈け足のお取り越しの時には、ちょっとした世間話で終わってしまうことが多い。それがコロナをきっかけとして講師の先生を招きづらくなり、やむをえず自身で話し始めた次第ですが、近頃はこれもありかなと思えるようになってきました。相変わらず、よそで話すよりはるかに話しづらいですが、仏法と自分を知ってもらえる貴重な時間なのではないかと感じるようになってきたからです。節約にもなりますし。
そんなわけで、このたびは、2月に行かせてもらった岐阜聖徳学園付属中学校の御開山のご命日法要でお話させていただいたことをもとにして、午前中2席、汗をかかせてもらいました。
昨年の12月17・18日に今年度の報恩講法要をお勤めいたしました。お取り持ちの方々も、初めての方も多く、不慣れななか、二日間にわたり大変お世話になりました。おかげさまで無事に終えることができました。ありがとうございました。
また、法要後に2期にわたって当寺の責任役員を務めていただいた所さんに、これまでの感謝の気持ちを込めて額と記念品を贈呈させていただきました。健康上の理由により勇退されましたが、所さんには今後も変わらずなにかとご相談させていただければと思いますので、よろしくお願いします。
そして、新たに10月から村瀬さんに責任役員を引き受けていただくことになりました。お世話になりますが、よろしくお願いいたします。
今年のお説教は、垂井町の野波昭空師でした。数年ぶりのお越しでしたが、とても若々しくて、結婚式の会奉行をしていただいた頃と変わらないなとまず思いました。
ご法話も、持参のBOSEを使って、ジブリのかぐや姫の主題歌「いのちの記憶」、法然聖人の八百回忌に製作されたさだまさしさんの「いのちの理由」、竹内まりやさんの「いのちの歌」を御堂内に響かせながら、歌詞を味わうという、これまでの先生にはないスタイルで新鮮でした。
まだつい数日前にうちの次女がねだって、「いのちの記憶」は家族で何度も聞いたところでしたし、さだまさしさんのCDは私が御堂に置いてたものを使っていただきましたし、竹内まりやさんの曲もそうですが、すべて思い入れのある曲ばかりで、いいスピーカーで聞けてよかったです。
先生には、コロナ対策上、3座とも違う人が参りますとお伝えしたので、最初の導入部分にとっかかりやすいように歌を用いていただいたかと思うのですが、
「阿弥陀さまが業の縛りを断ち切ってくださいます」
「我々は地獄いきの種を播きまくっている」
「たった六字に破闇満願のはたらきがある」
歌ももちろんよかったですが、これらのところをもっと掘り下げて聞けたらなと残念でした。時間が短くて、先生にはご不便をおかけしました。
さる12月18、19日、
ひときわ寒さしばれるなか、
令和3年度の報恩講法要をお勤めできました。
前年同様、おとき接待はなし、地区ごとに人数を分けての開催です。
18日お葬式、19日にお通夜が重なり、
合間にお勤めをするという、実にわちゃわちゃな二日間でした。
落ち着いて臨もうと思っても、どうしても浮足立っていたと思います。
さて、今年も阿部信幾先生にお越しいただき、
いくつもありがたい言葉を聞かせてもらいました。
どこにもお知らせしていないのに、
うちの御門徒ではない方々が
愛知・静岡・埼玉・神奈川・富山
からお越しになりました。
2年連続の方もありました。
そのことにびっくりしたあまりでしょうが、
後日うちの御門徒が、
「芸能人じゃないんやからおかしいわ」
と笑っておられました。
『嘆異抄第二条』には
「身命をかへりみずしてたずねきたらしめたまふ
おんこころざし、ひとへに往生極楽のみちを
とひきかんがためなり」
とあります。誰もがそうなるべきということは
ありませんが、わが身の「後生の一大事」なら
真剣にならざるをえないのではないでしょうか。
他者は決して変われない、私のいきさきの話です。
先生の言葉の一端を紹介します。
「死んで行く問題の解決が真宗、他力で助かるんですよ。御礼がなんまんだぶつ」
「後生の一大事、これが大事なんですよ」
「自業自得は仏教の言葉ですよ」
「業の話をしないと、人生がぼやけてわからない」
「行いが違えば、行けるところは違いますよ」
「釈尊はパーリ語の経典で、また夫婦になれますかと問う人に、信心を一つに、行いを同じにしなさい、さすればまた夫婦になれると説いておられる」
そして、他力の信心については、
「しかし、信心は信じ込むことではない、なぜも必要なんですよ」
「何を信ずるかといえば、本願を信ずる」
「私のために選びとられた本願、誓われた行」
「毎日六万遍念仏しておられた法然聖人は、念仏してるのが楽しかったからでしょうね」
「本願を信じ念仏申さば仏になるという教えです」
「十八願を信じたところで往生が決まる」
「親鸞聖人は、一念も多念もとらない。法然聖人は一念多念ではなく、念仏往生と仰っている」
「浄土真宗は救いが先」
「仏さまは決して私に背中を向けないんですよ」
「人が見てなかったら、なんでもやるお互いなんですよ」
「自力の称名は、念仏をお浄土に参る条件にする」
「我々につけるのではなく、自分自身に注文をつけられた四十八願」
「私に伝えなければ、私は救われない」
「法華経で救われるのは菩薩、凡夫は救われない」
「本願を疑うものは三悪道にもどる」
「阿弥陀さまのはたらきに、私の煩悩は邪魔にならない。それは、煩悩具足を救うと誓われたから」
「十七願は、凡夫に知らせる願」
「帰命の命は、いのちではない。勅命ということ。逃げられないということ」
「自力心は仏のはたらきをはねつける。捨てようとするのも自力。他力によって、阿弥陀のはからいにであったから用事がなくなる」
「自然ということが大事」
宗祖が十八願を「念仏往生の願」と呼ばれた背景
には、数えられる行いとしての念仏ではなく、
法然聖人が「念仏往生」と仰られた深いおこころが
あったことをあらためて確認できました。
仏法は不思議です。
知り学ぶことは当面大切ですが、
「学仏大悲心」ゆえに、
学ぶことは決定的な要因ではなく、ただ、
学んでも学んでもよろこびが尽きることがないというだけのことなのです。
法然聖人は、最期の時が近づくと、一万増えて七万遍になったといいます。
それだけ味わっても味わっても尽きることがない、
大きな仏心をいただいておられたのでしょう。南無阿弥陀仏